2026-07-04
書くことについて
自分が何を書けるのか知りたい、と思っている。
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昔から何かを書いてきた。書かない時期もたくさんあるけれど。
小学生の頃は、ノートに漫画を書いたり、原稿用紙に小説や読書感想文を書いた。夏休みの宿題で日記もあっただろうが、そういうのは最終日にでっちあげるのが関の山だった。自由研究の方が楽しく書いていた気がする。あと、新聞を作ってみよう、みたいな授業は結構好きだった。
それから、詩歌もそこそこ書いた。小学校の授業の一環で、ドウダンツツジについての詩を書いたのをよく覚えている。高校生からは俳句を初めて、大学生くらいまでは熱心にやっていた。社会人になってもしばらく頑張っていたが、最近は気持ちが少し離れていて取り組めていない。
俳句をやっていくにあたって、感想とか批評を書くこともままあった。正直、俳句そのものよりも得意だったような気はする。
大学ではレポートや卒業論文を書いた。こちらは、批評と似ている感じがするのに、割と苦手な部類だった。書くことそのものは楽しい気もしたが、本を読んでその内容を歪めることなく理解して伝えることに大変苦労した。どこかで自分の妄想に置き換わる瞬間が訪れているような、思っているのと正反対のことでも言えてしまうような、そういう手触り。
締め切りがあって、評価をもらうためには提出しなければならない。文章を着地させるために嘘をつき始める。思ってもいないことだが筋は通っている。そういうことをやり始めた時期だったかもしれない。
俳句は短いから、そういう間違いが起こりにくくていい。記憶の中に閉じ込めておけるだけのサイズしかないから、自分が嘘を言っているのか、それとも心から感じたことを言っているのか、その短いテクストを唱え直せばおのずから明らかになる。
ブログもこうやってたまに書く。日記も、書いたり書かなかったりする。できれば、本当に覚えておきたい大事なことがあったときとかは、日記を書けるとうれしい。ツイッターやDiscordにも、益体のないことをたくさん書いている。仕事とプライベートの両方で、僕にとって最も身近な「書くこと」は、SNSの投稿やメッセージだ。
技術的な文章も、ブログとか、設計書とか、スライドとか。ソフトウェアを仕事にするようになってからは、折々に応じて書いてきた。こういうものは、最近ではLLMでほとんどをまかなえるようになってしまったけど、それでも自分が考えていることを言葉にする作業の大事さは薄れていない。
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文章を読んだ後に文章を書くと、読んでいた文章の影響がそのまま出る。これは、僕が最近文章を書いていなくて、自分の文体が揺らいでいるからだと思う。あるいはこれまでの人生で、自分の文体を確立できたと思った瞬間が何度かあったとしても、それはそのとき一回限りのことだったような気もする。
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文章を書いて仕事にしている人間って、やっぱりすごい。僕は本当は作家になりたかったのかもしれない。今ではそんなことを考える時間も少なくなってしまったが、本を出すのは幼い僕にとって夢だった。大学生の頃は、自分で私家版の句集を2回ほど編んだけど、今となってはあのパッションがどこから出てきたのか、すごいなと思う。
文章を書くことは好きだったし、同世代の平均よりは、書ける方だと自認していた。でも、とにかく一冊の本になるくらいの量の文章を書くというのが、とてもできそうにない。そういう風に考えていた。
冷静に考えてみると、実はそんなこともないのかもしれない。人生を通して考えれば、とうにそれ以上の文章を書いていると思う。もちろん、一作の小説でそれをやろうと考えると、未だに無理そうだなと思うけど。
ある程度のボリュームの、それこそこのブログみたいな文章を量産してまとめるみたいなスタイルだったら、できなくはないんだろうな。ただ、何について書けばいいのかよくわかってないだけで。マジメなことも、趣味のことも、ひとつのことに対して大きな情熱を注ぎ続けるのが難しい。
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ぼんやりと、文章を書きためてまとめあげたい。そう感じている。だが、方向性はよくわからない。僕は文章を書くこと自体は好きだが、いつもメタに走ってしまう癖がある。文章を書くってどういうことなんだろう、みたいな文章をずっと書いているような気もする。(ブログを振り返ると別にそうとも言えないんだけど。パソコンの奥底に眠っている、書きかけのテキストファイルにはそういうのがすごく多い。)
とにかく書いていくしかない。それで、何について書くかというのも、書きながら考えればいい。よくわからないけど、今このブログが2000字くらいで、たぶん似たような品質のものを100個ぐらい書いて、半分ぐらいに削れば、本になるくらいの文章量は稼げる。別に流通に載せたいとかはないから、とりあえず形になって配れれば、満足くらいの。いや、わからない。そう考えてみて、本当に自分がしたいことがそれなのか、わからなくなってくる。
文章を書くのは好きだ。それがまとまった紙束になるのも多分好きだ。何かを伝えるメディア、媒介者としての本じゃなくて、質量を持った物体としての本と、そこに染みこんだインクと、それが表現する記号列が好きなんだろう。
と、いうより。伝えたいことから始めるのが、自分にとっては億劫なだけなんだろう。言いたいことも、伝えたいことも、特にない。というのが自分の積年の悩みであるような気がする。小説を書くときも、小説を書きたいのであって、書きたい物語があるわけではない。
俳句が自分にフィットした理由も、その辺りにありそうだ。何を言いたいかなんて考えなくても、ただシャッターを切るように言葉にすれば完成しているところがよかった。短いし、腰も手も痛くなりようがない。いや、真剣に句集を編んだり、他の人の句を選んだりしているときは、苦労するんだろうけど。
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考えつかれたので、散歩をしてきます。