本について

ふと冷静になると、インクの染みついただけの紙束を人間が買うのは変すぎる。自分の場合、買ってから積んでしまって読まないこともしばしばあるから、本当に意味不明である。役に立つ知識が書いてあるならまだ理解できるが、益体ない雑文でも買ってしまう人間は本当に買ってしまうから、これはほとんど詐欺に近い!(私はよく詐欺にかかる。)
 せっかくこの世に生まれついた身としては、この詐欺に一丁噛みしたいのだが、いかんせん長い文章を書くのが苦手だ。いやいや、好きなのだが。明確な報酬がない状態で何かに集中し続けるのが苦手というべきか。兎も角、書いている間も脳汁の出る変な文章をなるべく書くことにして、この性質を回避していきたいわけだ。
 この文章は、前書きにするつもりで書いている。よってこれから始まる壮大な詐欺の一端を開陳する趣向でなければならないのだが、残念ながら一体どんな文章あるいは文字の塊が収録されるのか、私も知らないのである。故にこの本についてどうこうというよりは、本という概念自体について云々してみるのが一番良いかしら。源氏物語およびグーテンベルクの活版印刷以来の歴史を振り返るには浅学に過ぎるが、自身の本との関わりなどを振り返ったとて、興味を持たれるとは到底思えない。というより私の脳汁があまり出ない。ところで脳汁という言葉は最近使われがちであるが、ドーパミンやアドレナリンなど脳内物質があふれるイメージを液体的に形容した、真に迫った表現であるなあ。閑話休題、本について語るとしよう。
 よしここはと腹を決めて、一冊だけ我が人生の本を選べと言われたら何になるだろうか。やはり青年期に読んだものが鮮烈に残っていて、ヘッセの車輪の下とか、梶井の檸檬とか、そういう読みやすい名作と言われる小説をまず挙げたくなる。ああ、結局読書遍歴の話になってしまった。いやいや、遍歴というと面白くないが、偏って一冊に集中すると面白い、いわば偏歴だ。ちなみに偏歴は東洋医学のツボで、親指側の手首から肘に向かって指幅四本分(手の甲側)の場所にあるツボらしい。歯の痛みや顔のむくみ、頭痛などの症状に効果があるとされている。
 ところで読みやすいって本当に思って言っているのかそれは? となることがあまりに多すぎないだろうか。世の中には入門詐欺が溢れすぎている。哲学入門などと書かれた書籍を紐解いてみると、目が回る思いがする。一応、大学で日本哲学史を修めたのだが。読みやすい、と言っているときは何か比較対象があって、それと比べて読みやすいと言っているだけで、本当に読めていると言っているのではない。本当に読めているとはどういうことか? 傍線が引かれて国語の試験問題を与えられたときに間違いなく答えられるのが、本当に読めている、少なくとも過たず読めている証だとすれば、これまでの人生で文章を正しく読めたことなど指折り数えるほどしかないことになるだろう。
 おい、車輪の下と檸檬の話をしろよ。はい……。なあ、本当に話をしなきゃだめか? あまり適当なことを言いたくないから再読したいのだが。そんなことをしていたら一生書き上がらないだろう。
 車輪の下は、神学校に通うハンスという少年の話だったはずだ。カインとアベルの話とかをしていた気がする。いや、それはデミアンだな。ともかくこのハンスという少年が、勉強のしすぎで精神が細って最後には死ぬというような、聞くからに暗くてしょうもない話のように思えるのだが、ハンス少年も「あの頃は良かったなあ、釣りとか楽しかったし」みたいな感じで過去に思いを馳せたりする。確か、そう。記憶なんてその程度のものだが、なぜか妙に好きだった気がする。結局それは幼き頃の自分の中のガリ勉の部分をハンスに投影していたに過ぎない。要するに自己愛として読んで、自死だかなんだかわからない方法で死んでしまったハンスを憐れみ、翻って自己憐憫していたに過ぎないと思うのだが、訳文の美しさにはいたく感動した覚えがある。今思うと車輪の下が好きですなんて学生はこまっしゃくれたナルシシストだねえという気にしかならない。でも実際悪くない小説である。そろそろ再読するか。
 梶井も大体そのような調子で読んでいて、檸檬というのも、京都の丸善だかに爆弾のような気持ちで檸檬を置いて立ち去って妄想するという、「学校にテロリストが襲撃してきたらどう動こうか」という妄想とあまり変わらん話だったような気がする。しかしこれも文章がたまらなく美しい。あとはKの昇天という小説も好きだった。Kというと夏目漱石のこころのKの墓がインターネットミームとして知られているが、あのKとこのKは別のKだ。
 総じて、何か陰鬱なものを抱えた主人公がじめじめとした悩みを地の文で表明して、劇的なんだか情けないんだかわからない結末を迎えると言った小説を幼い頃に好んでいたのは、思春期ですねという感じでしかない。それを否定しようとは思わないが、乗り越えていかなければならないと思う。であるので、ここまでの好きな本の話は十代までの私の偏歴であって、二十代の頃のことは別途考えようといった感じである。

(続く)