大事かつ面倒なタスクを倒す技術

結局こういうのが一番大事じゃないですか? と思って書く。

やれているとは思わないけど、やった方がいいとは思う。

面倒くさい

別に今に始まったことではなく、子供の頃から面倒くさがりだった。夏休みの宿題をやることのほうが怒られることより面倒くさかったから、夏休みが終わっても、理科室に放課後呼び出されて少しずつ宿題をやっていた。

エンジニアの怠惰は美徳だと言われるが(一番手短で、効果の高い方法を模索したり、自動化して手離れさせたりするので)、単に怠惰なだけだと普通に悪徳で、怠惰だけど仕方ないから何とかしようと思うのが美徳なんだろう。

ただ、世の中には、本当に面倒で、しかもAIにも投げづらくて、コードでも表現しづらいみたいなタスクがある。確かにある。しかもそういうものに限って大事だったりする(というか、大事じゃないならとっくにゴミ箱に送っている)。ああ、困った。

無理矢理やる方法

タスクを無理矢理やるにはコツがあって、まず、他のタスクをいったん全部ゴミ箱に送ると良い。いや、ゴミ箱に送るというのが極端なのはわかる。別に机の外でもいいし、バックログでもいいんだけど。とにかく意識の埒外に他のタスクをどうにかして追いやることだ。

簡単そうな、すぐやれそうな、しかも意味がありそうなタスクは常に目の前にある。普段はそういうものを積極的にやっていくのが良いことだ。しかし、とても大事なタスクで、面倒くさくて、倒さなきゃいけないやつがいるときに、そういう簡単なタスクが目の前に積まれていると、どうあがいてもそっちをやってしまう。

だから、意識の外に追いやる必要がある。方法はほんとになんでもよい。今やらなきゃいけないとても面倒くさい「それ」だけを目の前に置くことだ。

思考を停止しよう

そういう面倒くさいタスクは、考えるのが面倒くさいタスクと、手を動かすのが面倒くさいタスクの二種類ある。前者の場合は厄介だが、後者の場合はとりあえず思考を停止しよう。きららアニメとかを垂れ流しながら手を動かすと良い。意外と最初の十五分くらいで片がついている。

時間を見積もって、諦めて気絶しよう

というか、義務的に手を動かせば何分、あるいは何時間で終わりそうか考えるのが大事かもしれないな、と書きながら思った。今僕はブログとか書いた方がいいんだろうなと思いながら諦めて文章を書いている。これは、ほとんど思考とは呼べないもので、無意識の濁流に過ぎない。シュルレアリスムの自動筆記よりは多少マシな程度。普段考えていることを取り出しているだけなので。

考えなきゃいけないタスクは、しゃべるか書くかしよう

考える、ということほど厄介なタスクもない。けれど、ほとんどの場合、考えるというのは要するに、今から何をするか・どうするか決めると言うことだ。ものごとを決めるのにはコツがあって、言葉にするということがだいじだ。もやもや悩んでいても仕方がないので、まずはAIのプロンプトでもNotionでもなんでもいいので文字にしていこう。本当に手を動かすのが面倒なときはだらだらしゃべろう。最近のAIは賢いのでどうにかまとめてくれる。

だらだら進めよう

面倒な仕事を、気合いを入れて倒そう、と思うから余計面倒になって腰が重くなる。だらだら始めよう。だらだらやってても気合いを入れてやってても、人間一人のアウトプットのスピードの差分なんてたかがしれている。どうせ面倒くさいんだから、倍の時間がかかろうが、なんだろうが、終わった方が偉いに決まっている。だらだらやってよし。やりましょう。